他人(ひと)の堕ちてゆく様

友人が風俗嬢になって数年が経つ。

 

つまずきつまずき、たどり着いた先がそこだった。

 

有名私立大学を卒業したものの、時代はリーマンショック真っただ中。

 

コンサルを目指していた彼女は、本命ではないものの、新興の小さなコンサル企業にかろうじて就職した。

 

しかし、待っていたのは過酷な労働環境。

体調を崩し、辞めざるを得なくなった。

 

そこから人生の崩壊が始まる。

 

ねずみ講のようなビジネスに手を出してみたり、怪しげなネットビジネスを始めてみたり…。

 

いずれもうまくいかず、風俗嬢になったという訳。

 

彼女には大学時代に抱えた負債が残っている。奨学金だ。

 

一度、涙ながらに相談されたことがある。「父親の会社が倒産して、家族には頼れない。それでも奨学金を返し続けなくてはならない」。

 

報道で時に耳にする学生ローンによる貧困。こんなにも身近にあったなんて…。

 

しかし、こんなストーリー、昨今では巷にあふれているのだろう(か?)。

 

恐ろしいのは、風俗嬢がもはや稼げる商売ではないという現実である。

 

窮した学生が風俗で働く姿は珍しくない。

 

大学卒業後に風俗嬢になった私の友人は、アラサーでも、いわゆる「熟女」にカテゴライズされる。

 

いかに世間で熟女ブームと騒がれようと、実際には若くて美人の風俗嬢の人気に、熟女は遠く及ばない。それが給料に如実にあらわれる。

 

もがく彼女の姿を、友人らは遠巻きに眺める。

 

心配だと言いながら、その堕ちてゆく様を、好奇の視線で眺めるのだ。

 

私もその一人。

 

体を売る彼女と、それを眺める私。

 

醜いのはどちらだろう。